今回は、栗原恵と「メグカナ」として人気を博した 大山加奈さんと母親についてご紹介したいと思います。
大山加奈さんは東レアローズバレー部に入部し、その後アテネ五輪などに出場、2010年に引退、その後は東レに就職。
2017年現在では主にスポーツ解説者や後進の育成、バレーボール教室など普及活動などに力を入れている。
引退後は、子供たちのためにバレーボール教室などで、バレーの普及に努めておられます。
大山加奈さんの旦那さん、子供については、以下のリンクからどうぞ。
それでは、大山加奈さんのお母様について、ご紹介したいと思います。
母親へのプレゼント!大山加奈が旦那と結婚。ブログにて画像あり。
号泣回です。
大山さんは2015年9月28日に一般人の男性と結婚し、2016年3月に挙式しています。
ただ、当初の予定ではこれほど早く式を挙げる計画ではなかったのです。
2015年末に母と祖母にガンが同時に見つかったことで、彼女は幸せな姿を母と祖母の二人に見せるために式の日程を早めたのです。
それが「挙式の前倒し」です。
母と祖母のがん宣告。。。
非情な宣告。
2人の幸せを願って、自分の幸せな姿を見せたくて。。。
(2016-03-25のブログにて。)
親族のみでささやかながら挙式を行いました。
というのも、昨年末に母と叔母、2人ほぼ同時に膵臓がんがみつかり…
年明けに2人ともステージ4の末期という宣告を受けたからです。。。
この現実は容易に受け入れられるものではありませんでした…
旦那さんの前でだけ何度も泣いてやっと受け入れることができました。
そばで支えてくれる旦那さんがいなかったら、受け入れられなかったかもしれません。
なんと、ステージ4という、末期がん。
抗えない現実。受け入れらない現実。
死の影がよぎる毎日。
とてもつらかったと思います。
とにかく母や叔母を喜ばせたい、元気になってもらいたいと思い、ずっと見たがっていた花嫁姿を見せてあげるため急遽、式を挙げることにしました。
旦那さんと私の仕事の都合や、母や叔母に負担をかけたくなかったのでみなさまにはお知らせせず、身内のみでの挙式とさせていただきました。
とにかく2人が元気に当日を迎えてくれることを祈る毎日でした。
お化粧も落ちちゃうし、この日だけは病気のことを忘れさせてあげたいという父の願いもあったので、できるだけ泣かないと決意していましたが、ベールダウンでもうすでに涙止まらず…
母にベールダウンしてもらい、父とバージンロードを歩くことができて本当に良かったです。
母は顔色も体調も良く、元気に出席してくれました。
ドレスは母に選んでもらいました。
身内だけだしお色直しはしないと伝えておき、披露宴は和装で入場するサプライズ。
母親と祖母のことをしっかりと考えていることが分かります。
自分たちの結婚式という意味合いよりも、両親に捧げる意味合いが強かったかもしれません。
下に写っているのは、母親と父親の他、妹、弟もいらっしゃるようです。
母はとても驚いていました。やっぱり和装は嬉しいみたいですごく喜んでくれたのでサプライズ大成功です。
続いて、結婚式を挙げていない両親に、ケーキ入刀のサプライズ。
この年代の方は、結婚式を挙げていない方も結構おられるはず。
こんな形で娘の結婚式に、ケーキ入刀できるなんて、うれしかったはずです。
これもすごく嬉しそうで私もすごく嬉しかった。
両親への手紙は号泣してしまいました。
母もおばもとても素敵な笑顔をたくさん見せてくれて、とても素敵な時間を過ごすことができました。
この記事を書いていて、涙が出ている自分に気づきました。
母親、父親への感謝の気持ちが記事に溢れていて。。。
こんな幸せなことはないよなって…
祖母のおばあちゃんの様子。嬉しそうです。
お母様と顔つきが似てる気がします。
みんなが本当に喜んでくれて、とても楽しそうで 幸せをたくさん感じられて…
結婚式を挙げて本当によかったです。
母や祖母の体調のことを考え、日頃お世話になっている東急さんにお力をお借りしました。
挙式はセルリアンタワー東急ホテル、披露宴はザ・キャピトルホテル東急で行わせていただきました。
がんが憎くて憎くて仕方ないけれど、憎んでたらあちらも対抗してきそうなのでお願いをすることにしました。
どうか母とおばの身体から出て行ってください。。。お願いします。
病気とは戦うなと、言います。
しかし、きれいごとに過ぎない部分でもあります。
やはり憎みますし、恨みます。
なぜ私の家族が。なぜ私の母親なのかと。
祈るような毎日だったと思います。
大山加奈の母の現在について。2017年当時の様子をブログより
(2016/12/6のブログより。)
前のブログではお話させてもらっていましたが、わたしの母はステージⅣの膵臓癌と戦っています。
母の病気がわかったのが2015年の暮れでした。
あれから1年が経ちましたが、母はとても元気です。
しかし3種類目の抗ガン剤も、もう効いておらず、抗ガン剤の治療をやめる選択をしました。
ガンをやっつけるのでなく、共存していく道を選んだのです。
しかし、もしかしたらという、一縷の望みをかけて本日セカンドオピニオンを受診しました。
でもその糸もぷつりと切られてしまいました…
病院からの帰りに気分転換になればと、柴又でプチ観光をしてきたのです。
厳しい状況であるかもしれませんが、こうしてプチ観光もできるし食欲もあるし仕事にも行っているし、きっと大丈夫!
1年1年こうして何事もないかのように、過ごせることを祈るばかりです。。。
来年も家族みんなが元気に過ごせますように!
みんなが応援してくれているから大丈夫!今日も大切な仲間が母に元気をくれました
最近の科学、医療技術は目を見張るものがあります。
でも、残念ながら解決できないことも多いのが現実。
目の前の医者を信じきれなくて、他の医者をあたることも考えたのでしょう。
どんな方法でもいい、回復とまではいかなくても、維持させる方法はないのかと。。。
それは、祈りに近いものだったのかもしれません。
大山加奈の母親が死去…容体の急変について
うん…
大山は最新となる27日のブログではバレーボール教室イベントに参加したものの、久美子さん(55歳)の容体が急変したのか、午後のイベントには参加せず帰京したことを明かし「楽しみにしてくれていた子供たち、本当にごめんなさい」とつづっていた。
願いは虚しく、その時は急に来ます。
(2017/6/3のブログより)
1年半ガンと必死に闘い続けた母が、天国へと旅立ちました。
正直いっぱい迷惑かけられて、むかつくこともたくさんあったけど…
正直すきじゃないって思うこともあったけど…
愛情たっぷり育ててもらったことはまちがいなくて…
やっぱり大好きみたい。すごく寂しくてかなしい。たくさんの愛をありがとう。
もうお母さんに会えないのだというのがまだ信じられないけど…
またいつか絶対会おうね。
そのときはもっと仲良くなれますように。いままで本当にありがとう。またね。
どんな形であれ、人は死去されます。
これは抗いようのない事実で。
ただそう簡単に受け入れられるほど、人は強くない。
大山加奈さんも、信じられなかったことでしょう。
特に、母親と娘という関係は、とても「強い絆」があると聞きます。
大山加奈の母親の病気について公表したのは、なぜだったの?
(2016-03-28のブログより)
母の病気のことを公表することは、とても迷いました。
1番は本人が望んだというのが、大きかったのですが、公表することで、こんなのが良かったとかこうしたら治ったというような私たちが知らない情報を手に入れることができるかもしれない、そして同じように病気と闘っている方やそのご家族と励まし合えるかもしれない、勇気や元気をもらえるかもしれないという思いから公表することに決めました。
それに応援や想いの力のすごさは私自身が現役中たくさん感じてきました。
公表することでみんなが応援してくれたら、その力でがんがいなくなるのではないか、という期待も込めて書きました。
情報や感情を共有したかった、というのがあったとのこと。
それだけ不安だったことでしょう。
そしたらこんなにもたくさんのメッセージが…
ひとつひとつ心を込めて読ませていただき勇気や元気をたくさんたくさんいただきました。
母もみなさんからのメッセージすべて読んだみたいです。
みなさんからのメッセージが母の力になったことは間違いありません‼︎
本当に感謝の気持ちでいっぱいです‼︎‼︎
悲しいことだけど、たくさんの仲間がいるということとても心強く思います。
本当に本当にありがとうございました‼︎‼︎
母は辛い治療にも負けずとても頑張っています。
しっかり支えていきたいと思います‼︎
コメントをくださったみなさんのご本人やご家族の病気も治るよう私もお祈りしています‼︎
公式ブログの読者のコメントは割愛していますが、すごく感じたのが、みなさん本当に大山加奈さんとその家族を暖かく見守っているということ。
もちろん、読者の中には、自身や自身の家族が病気の方もいて、お互い励ましあっている。
ブログやSNSなど文字でのコミュニケーションは冷めているといいますが、こんなに暖かいコメントがあるのかと思いました。
大山加奈さんにとって、大きな支えになったことは間違いないです。
大山加奈の母親の告別式について
(2017/6/6のブログより)
大切な仲間が告別式当日にプレゼントしてくれました。
母の病気がみつかってからの1年半。
どれだけ支えられ助けられていたか…
みんながいなければ大山家は倒れてしまっていたと思う。
この1年半まちがいなく乗り越えられなかったと思う。
どれだけ感謝してもしきれないしどんな感謝の言葉でも足りない…
バレーボールと出会って、バレーボールをしてきて本当に本当によかった!
下の写真が頂いたというメッセージボード。愛情がこもっています。
苦しいとき、つらいときに、そばに寄り添っていてくれる仲間に出会えたこと本当に幸せです。
母の死を通して、あらためてこんなにもたくさんの方にわたしたちは支えられているのだということを実感することができました。
感謝の気持ちでいっぱいです。
母との別れはとても寂しいですがみんなの優しさに支えられ、胸がいっぱいです。
本当に本当にありがとう。
人という字は一人ではない。
金八先生が言っていた言葉ですが、本当に、本当にそうなのですね。
人は人と関わり、成長していく。
どんな形でもいい。ブログでもSNSでも、文字媒体だとしても、つながりは人を強くする。変えてゆく。
大山加奈さんの姉妹・弟さんについては、以下のリンクからどうぞ。
大山加奈の母親の月命日と、小林麻央の死去について
(2017/6/30のブログより)
今日ははじめて迎える月命日。
母が旅立って1ヶ月が経ちました。
この1ヶ月が、早かったのか遅かったのかはわかりません。
ただ何事もなかったかのように世の中は流れていって…
もう日常を取り戻してるし元気なんだけど、この1ヶ月母のことを想わない日はないし、何気ないことでふと涙がでてしまうこともあって。
親子三代で旅行にでかけている家族の小さな子供たちがおばあちゃんに甘えてる姿を見たときなど、飛行機のなかで涙止まらなくなってしまったり…
特にそんななかで耳にした小林麻央さんの訃報には大きなダメージを受けました。。。
あのときは結構つらかった。
でも同じようにとなりで涙を流してくれていた旦那さんに救われました。
母との別れは悲しいけれどこの人と結婚してよかったと思える日々。
うれしいこととかなしいこと、いいこととわるいことは同じだけ経験するなんて、よく言いますが本当にそうなっているのかも。
仲間たちの存在の大きさにも気づかされたり、告別式にたくさんの方が来てくださったり、たくさんのお花や弔電をいただいて、わたしたち家族は本当にたくさんの方に支えられていることを実感することができたり。
もちろんとても悲しかったけれど、悲しいことやつらいことだけではない1ヶ月だった気がします。
もしかしたらまだ、もう母に会えないという事実を受け止めきれていないのかもしれません。
わかっているようでわかっていないというか。
その事実が入ってこないよう、ふたをしてしまっているのかも。
いまなにしてるのかな。どこにいるのかな。
痛みやつらさから解放されて元気でいてくれてるといいな。
海老蔵さんが何度もブログを更新されていますが、その気持ちすごくわかるんです。
こんな感情をわざわざブログに書く必要はないのかもしれないけど、書くことで心の整理がつくし、みんながついててくれるんだって力をもらえるし。
それに母に届いているような気にもなるし。。。
小林麻央さん自身や、麻央さんの母親もがんで死去されたと聞きます。
どうしても感情移入してしまいますよね。
現在、ブログでは、バレーボール教室で子供たちに元気に教えている姿を拝見できます。
母親の死を乗り越えて、頑張っていらっしゃる。
仲間や時間という薬が癒してくれたのかもしれません。